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甲府家庭裁判所 昭和47年(少)543号 決定 1972年8月02日

少年 M・Y(昭三三・四・三生)

主文

少年を教護院(国立武蔵野学院)に送致する。

少年に対しては、強制的措置として、通算三六五日を限り、同武蔵野学院の逃走防止設備のある寮舎に収容することができる。

理由

(審判に付すべき事由)

1  窃盗保護事件

(1)  非行事実

少年は

(イ) 昭和四七年七月七日午後四時三〇分頃、山梨県東八代郡○○町○○○×××番地○林○造方において、同人所有の現金九〇〇円、カメラ一台および他衣類等一二点(時価合計金二八、七〇〇円相当)を窃取し

(ロ) 前同日午後八時頃、同郡同町○○○×××番地所在○○中学校玄関先付近において、○野○徳ら所有の体育用タイツ一枚他一点(時価合計金一、四五〇円相当)を窃盗し

たものである。

(2)  適条

刑法第二三五条

2  強制措置許可申請(山梨県中央児童相談所長)事件

少年は

(イ)  昭和四七年五月一〇日より同月二七日まで、肩書住居地の○○学園に一時保護して、行動観察をしたが、この間二回にわたり無断外出し

(ロ)  同年六月二三日より同年七月一〇日まで○○学園に入院措置したが、この間三回にわたり無断外出、窃盗非行をし

たもので、その状況より見て、無断外出するたびに非行を重ね、態度も大胆となり、自暴自棄的な感が見受けられる。そして今後も、少年が無断外出、窃盗行為を重ねるときは、その性格を更に歪めさせるなどの虞があるので、これを拘束のできる施設に収容して保護指導することが必要である。

(処遇理由)

1  少年は、昭和四七年六月二三日当庁において、窃盗保護事件により教護院送致の決定を受け前記○○学園に収容されたものであるが、前述のとおり再三無断外出を反覆して本件非行に及び、その反社会性、非行性は、中学一年生頃からかなり深く進行しつつある。

2  少年は、幼児期には明るい元気な子であつて、今日でもその一面を全く喪失したものとは思われないが、昭和四二年頃から父の病気(心臓病など)と家計を助けるため、母が会社勤めに出たことなどから、両親に保護能力のない家庭環境にある。

これらの事情もあつてか、少年は独善的で、わがままとなり、その生活態度は乱れ、容易に不満を抱き、不平不満を訴え、快楽追求的となると共に、自責の念もないまま、自己を固執し、合理的な規制に対しても強く反発し、規範観念と協調性に欠けるところが大きい。

しかして、その言動は終始一致せず、性格の偏りと相俟つて、自由放任を求め、常に逃走出奔を意図している(少年調査記録参照)。

3  かような次第で、保護者、関係諸機関の報告、意見等も十分聴取したうえ、本件については、解放処遇はその限度を超えていて不適切と認めると共に、少年の年齢、資質性格、経歴、家庭事情、本件非行の経緯、態様等諸般の関係を考慮し、主文掲記の教護院に収容し、相当長期間、必要に応じ、適切に強制的措置をとりつつ、その性格矯正と健全な育成を期するのが相当であると思料される。

4  よつて、本件は併合審理のうえ、少年法第二四条第一項第二号、第一八条第二項に則り、主文のとおり決定する。

(裁判官 中橋正夫)

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